坂本龍一Art BOX特設ページ 小崎哲哉
小さな物語の時代の壮大な試み
小崎哲哉アートジャーナリスト
坂本龍一と高谷史郎の協働は、1999年、坂本のオペラ『LIFE』で高谷が映像を担当してから20年以上続いている。批評家・浅田彰の紹介によって最初に会ったのは1990年だというから*1、そのときから数えると交際は30年以上に及ぶ。音楽家と視覚芸術家の協働は有史以来珍しくないが、これだけの期間、継続的に行われ、実り多い例は案外少ない。
建築家を志し、京都市立芸術大学で環境デザインを専攻した高谷は、1984年に、先輩や同輩とともにダムタイプの創設メンバーとしての活動を始めた*2。様々な才能が着想をぶつけ合い、発展させ、革新的な領域横断作品を創作・発表するアーティストコレクティブだ。
1995年に、創設メンバーのひとりでメンター的存在だった古橋悌二をAIDSによって失ったが、その後も活動を続けている。2022年には、世界最古にして最も格が高いとされる現代アートフェスティバル、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館代表に選ばれた*3。ダムタイプのメンバーは流動的で、今回新たに坂本がメンバーとして加わり、『Playback 2022』のために制作されたレコード16枚のフィールドレコーディング音源も、ヴェネツィアの新作インスタレーションに含まれている。
高谷は、個人活動においては、写真、映像、インスタレーションやパフォーマンスを創作・発表している*4。作品制作の動機は大別してふたつ。ひとつは自身の創作に直結する「媒体と認知の探究」で、当然ながら視覚が主な対象となる。例えば『Topograph』(2013)や『Toposcan』シリーズ(2013–2020)では、ラインスキャンカメラが捉えた世界を映像化した*5。一点透視の遠近法とかけ離れた、人間の目では見ることのできない不思議な像だ。
坂本も音楽家として、「媒体と認知の探究」という動機に無関心ではないだろう。「視覚=光」と「聴覚=音」は波に還元されうるから、高谷の関心とほぼ重なると言ってもよいかもしれない。だが、それ以上に共通するのが「時間と空間の解析」という動機である。ふたりが協働した作品は、ほとんどがこの動機に関係している。
2017年から2018年にかけて開催された「坂本龍一|設置音楽展」*6と「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME」*7がわかりやすい。坂本のアルバム『async』*8の発表を機に、題名通り非同期の音を5.1chサラウンドミックスで聴かせる展覧会。音源はもちろん坂本、映像と会場構成は高谷の担当だが、それは表面的な役割分担だったと思う。札幌国際芸術祭2014の芸術監督を務めた坂本は視覚芸術にも造詣が深く、高谷はパフォーマンス作品の演出家として、山中透、池田亮司、レイ・ハラカミ、サイモン・フィッシャー・ターナー、原摩利彦ら音楽家との協働を多数経験している。時間芸術とされる音楽が空間芸術にも、通常は空間だけが意識されるインスタレーションが時間芸術にもなった展示だった。
特筆すべきは、協働した作品ほぼすべてに共通する主題の大きさだ。『LIFE』は「戦争と殺戮の世紀」*9と坂本自身が総括した20世紀の歴史を扱っていた。それ以降は、「Forest」(森)や「Water」(水)などを題名に含む作品がつくられている*10。2021年、田中泯をパフォーマーに迎え、オランダ・フェスティバルで世界初演された『TIME』*11は、文字どおり時間に、正確には時間が存在することへの疑問に取り組んだ「言葉のないオペラ」だった。歴史、地球環境、生命、時間……。近年は目にすることの少ない、壮大な主題ばかりである。
哲学者ジャン=フランソワ・リオタールは、「ポストモダンの文化においては、(中略)大きな物語は、(中略)その信憑性をすっかり喪失してしまった」と述べた*12。「大きな物語」とは、「啓蒙」や「人間の解放」といった大文字のイデオロギーを指す。ここでリオタールが言う「ポストモダン」とは現代のことだから、現代においては「小さな物語」しか信頼されないということになる。
坂本は「ポストモダンの音楽家」と呼ばれたことがある。リオタールはジョン・ケージを「ポストモダンの芸術家」に分類していて*13、それに従うなら、ケージを含む歴史上の音楽を自家薬籠中のものとしている坂本をそう呼ぶのは不当ではない。高谷が所属するダムタイプも、ピナ・バウシュ、ロバート・ウィルソン、メレディス・モンク、ローリー・アンダーソンらに影響を受け、いわゆる「ポストモダンパフォーマンス」に連なるとされている。
だが、実はポストモダンは「モダン以降」という消去法的な定義以外に固有の実質を備えていない。坂本自身が「もうすべてはできているので、あとは時代を飛び越えたいろんなスタイルをどう組み合わせるかというのがポストモダン」と述べているとおりだ*14。バウハウスが好きだと表明し*15、『Playback 2022』のスタイリッシュなターンテーブルを設計した高谷も、坂本ともども、むしろウルトラモダンと呼ぶべきアーティストだと思う。
それはさておき、リオタールによる「大きな物語の信憑性喪失」という認識が当を得ていることは認めざるを得ない。そんな中で壮大な主題に挑み続けるふたりは、志の高さにおいても究極のモダニストの名に値するだろう。マルセル・デュシャンは「花嫁は 裸にされて 彼女の独身者たちによって、さえも」(1915–1923)で世界の理を追究した。サミュエル・ベケットは『ゴドーを待ちながら』(1952)などの戯曲や、いわゆる「小説三部作」(1951–1953)などで生と死、実存といった主題に焦点を当てた。それ以降、大きな物語、もとい大きな主題に取り組んだ例は、アリギエロ・ボエッティのアート織物シリーズ『マッパ』(1971–1994。主題は「世界史・地政学」)、カールハインツ・シュトックハウゼンのオペラ『光』(1977–2003。「宇宙」)、ジャン=リュック・ゴダールの『ゴダールの映画史』(1988–1998。「歴史・映画史」)、高谷も参加したダムタイプの古橋悌二による『S/N』(1994年初演。「生と死・アイデンティティ・生権力」)など、数えるほどしかない。小さな主題の重要性を認めるにやぶさかではないけれど、小粒な作品ばかりの時代はあまりに寂しい。
上に「大きな物語、もとい大きな主題」と書いたのは、坂本や高谷が作品をつくるときの姿勢が、文学的・イデオロギー的というよりも科学的・テクノロジー的であるからだ*16。夏目漱石や沈既済の小説を下敷きにした『TIME』においても、背景にはカルロ・ロヴェッリ*17ら、最先端宇宙物理学の知見がある。高谷も坂本も、科学者と芸術家が気候変動について考えるための北極圏遠征プロジェクト「Cape Farewell」*18に参加しているが、それも、ふたりに共通する関心や資質を証し立てるものだろう。
『Playback 2022』で奏でられる16+1の音源は、地球上の16都市で録音されたものだ。それぞれの土地に固有の音も当然あるが、共通する要素も少なくない。虫、鳥、犬など動物の鳴き声と雨、風、雷などの自然音。人の会話や足音、路上や市場の喧騒などの生活音。楽器が奏でる、あるいは人が歌う楽音。それらに、自動車や飛行機をはじめ様々な機械が生み出す音が加わる。自然音が比較的多いのはアピチャッポン・ウィーラセタクンが担当したチェンマイの録音だが、そこにも自然音と生活音だけではなく人工的な機械音が含まれている。
これらの録音に物語を読むことは、不可能ではないどころか極めて容易い。とはいえ、やはり『Playback 2022』は科学的・テクノロジー的世界観の産物と見なすべきだろう。透明なレコード盤には録音した場所を中心にした地図が刻まれている*19。人新世のある時点での現実が、音とレコードという媒体によって記録された意欲的な作品だと思う。
哲学者の柄谷行人は「それ[高谷の写真]は、自己表現を目指していない。それが目指すのは、対象を『もの』として示すことだ」と述べ、高谷には芸術家には珍しくナルシシズムが希薄だと分析している*20。鋭い洞察だが、「対象を『もの』として示すこと」は優れた科学者や研究者も行っていることを指摘しておきたい。さらに言えば、フィールドレコーディングを発表する音楽家も。坂本と高谷は、やはり科学的・テクノロジー的な表現者なのである。*21
注:
- *1
- 「ダムタイプ|アクション+リフレクション」関連プログラム
浅田彰✕坂本龍一✕高谷史郎スペシャルトーク(2019/12/21) - https://www.mot-art-museum.jp/blog/staff/2020/06/20200608101315/
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- *2
- 京都市立芸術大学 卒業生インタビュー(2016/10/19。インタビュワー:渡辺佳奈)
- https://www.kcua.ac.jp/profile/interview/arts/art_20_takatani_1/
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- *3
- 2022年11月27日まで。
- https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/e/participants/dumb-type
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- *4
- http://shiro.dumbtype.com/
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- *5
- http://www.kodamagallery.com/gallery/takatani2019works.html
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- *6
- http://www.watarium.co.jp/exhibition/1704sakamoto/index.html
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- *7
- https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2017/sakamoto-ryuichi-with-takatani-shiro-installation-music-2-is-your-time/
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- *8
- https://www.skmtcommmons.com/quest/
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- *9
- 『RYUICHI SAKAMOTO SAMPLED LIFE』(1999)
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- *10
- 「water state 1」(2013–2021)、「Forest Symphony」(2013)など。
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- *11
- http://www.epidemic.net/en/art/sakamoto-takatani/proj/time.html
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- *12
- ジャン=フランソワ・リオタール『ポストモダンの条件』(1979/1986。小林康夫訳)
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- *13
- 同
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- *14
- commmons: schola
- https://www.commmons.com/schola/interview2.html
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- *15
- 京都市立芸術大学 卒業生インタビュー(前出)
- https://www.kcua.ac.jp/profile/interview/arts/art_20_takatani_1/
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- *16
- リオタールは、前出の一文のあとに「物語のこのような衰退のうちに、
第二次世界大戦後の技術・テクノロジーの飛躍的発展の影響を見ることもできる」と注意深く記している。 - テキストに戻る
- *17
- 『すごい物理学講義』(2014/2019。竹内薫訳)、『時間は存在しない』(2017/2019。冨永星訳)など。
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- *18
- 高谷は2007年、坂本は2008年に参加した。
- https://www.capefarewell.com/
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- *19
-
AUTORA FACTORY PLATEによる独自の技法「VINYL CUTTING GRAPHICS」。
絵の濃淡を音の強弱に置き換え音声データ化する事で、レコード盤面に音で絵を描く技術。 - https://www.autora-factory-plate.com/
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- *20
- 「高谷史郎と写真装置」。『高谷史郎 明るい部屋』展図録所収(2013)
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- *21
- 両者が文学的でないということではまったくない。例えば『LIFE』と『TIME』には随所に文学の香りが漂う。
ふたりが敬愛するという映画監督アンドレイ・タルコフスキーとも共通する香り。
タルコフスキーも「大きな主題」に取り組み続けた芸術家だった。 - テキストに戻る